2018/12/24

Combat! Season 1 Episode 12

子供のころ、親は夜ふかしにもTV視聴にも厳しかったので、TVドラマ「コンバット!」はいつも最後まで見られなかった。よく翌朝父から続きを教えてもらっていた。二回目の放送の時はセコハンのTVを所有していたので放映時間に大学から戻れた時は必ず見ていた。最終回だけフルカラーだったので翌日友人とそのことを話したことを憶えている。ブラジルの寮に住んでいた時もコンバット!の放映 (a にアクセントをおいて「コンバチ」と発音していた) があったが、やたらカラーの回が増えていた。ネット時代になってから YouTube のプレイリストを利用して第一シーズンのエピソード1から第五シーズンの最後まで見たことがある。また最近そうやって見はじめた。S1E12 は可笑しかった。大笑いしてもう一度見返した。以下そのあらすじ。

サンダース分隊のブラドック二等兵はひょんなことからガミガミ屋のクライド大佐の運転手になるが、大佐の乱暴な運転でジープに乗っていて事故に遭い、一人だけドイツ軍の捕虜になる。風邪をひいていて大佐のコートを借りて着てい、大佐のヘルメットを手にしていたため大佐と間違えられる。ジープは川に沈み、大佐の姿はどこにも見られなかった。ブラドックは以前のエピソードにもフランスの民家で入浴するシーンがあったが、今回もシャワーを浴びているときに急に呼び出されたので認識票はじめ身分を証明するものを何も持っていなかった。

最初二等兵だと盛んに主張するが「どちらだか判らないから一応大佐として遇する」と言われてそれ以上抗弁できず、良い食事とコニャックを与えられ、コートのポケットから大佐の葉巻を出してふかし、さらには三人の米兵捕虜の扱いを不満として居丈高に振る舞い言い分を通す。ドイツ軍ではやがて彼の正体がわかって来たが、米軍の捕虜になっていたホフマン大佐と副官との捕虜交換に彼を使おうと考えていた。

連隊では無鉄砲に然るべき護衛なしでジープで前線のあちこちに出かける大佐の行方不明に憂慮していたが、捕虜になった一大佐を双眼鏡で見たという斥候の報告があり、やがて三人の米兵捕虜の一人が捕虜交換の提案を伝えに遣わされて来た。彼をその「大佐」についいて問いただしているとき、当のクライド大佐が額に打ち傷をこしらえて戻ってくる。やがて「大佐」はブラドックだとわかり、大佐は歳格好の似た二人の独兵捕虜にホフマン大佐たちの服を着せて3対2の有利な取引をしようと企んだ。

細い川を挟んで信号弾を交わすと、独兵二人を送り出し、向こうから渡渉してくる三人を急き立てて岸に上げると大急ぎで逃げ出す。重迫撃砲かなにかの砲弾が降り注ぐがまんまと逃げおおせた。将校を装った廉で軍法会議にかけられはしまいかとブラドックが大佐に尋ねると、大佐はそれはどれぐらいうまく大佐として振る舞ったかによると言い、やってみせろと強要する。二等兵は葉巻をくわえてから二人の解放された米兵に早く飯を食わせろと怒鳴り散らしてから大佐に謝ると、それなら軍法会議の心配はないと言われて一件落着。

Combat! S1E12 The Prisoner

第四シーズンまでのプレイリスト

2018/12/17

Cuíca

ブラジルで見た珍しい楽器の一つに Cuíca がある。起源はアフリカか、あるいは近東らしい。弦楽器と打楽器と両方の要素がありどちらでもない変わった楽器だ。しかしサンバほかブラジルの音楽では脇役としてよく使われるので、音を聞いたことのある人は少なくないはずだ。しかしどんな楽器がその音を出しているのか想像つきにくいだろう。

ブラジルにいたあいだ知っていたのは片手でつかめるほどの木の胴の片側に皮を貼り、皮の外側の中央に何かの接着剤を使ってせいぜい10cmくらいの長さの竹ひごを接着したもので、濡れた指や綿を使って竹ひごをこすると面白い音がする。演奏に大したテクニックも必要でなく、高いものでもなかったので是非中級品を一個買って帰りたいと思っていたが買いそびれた。

今調べてみたら、プロが使うようなものは普通のドラムを小型にしたような立派なもので、竹ひご (ロッド?) は内側につけてある。片手で抱え、片手を胴の中に入れてロッドをこするようになっている。検索してもかつて見たような安価な木製のものはヒットしない。

Cuícaの演奏ビデオ

2018/12/15

さち その4 なっちゃん

さちはブリーダーのケージで兄弟の一頭と生後99日まで一緒であり、しょっちゅうレスリングをしていたらしい。今年死んだなっちゃんも保護犬で、那須高原で兄弟とそうして遊んでいたんだろう、二頭ともレスリングが好きだった。最初晩春か初夏の頃に二号売店の前で会ったが、遊ばせるとそればっかりやっていた。遊び方はそれは激しく、突っ転ばしあったり体当たりしあったりし、双方の牙がぶつかってガキッと鳴ることもあった。

当初は土曜日にしか砧公園に行かなかったのでだいたいその辺でなっちゃんママと待ち合わせていた。しかし私の来る時間帯が結構まちまちであったため、なっちゃんママはやがて友達のいるファミリーパーク内にいることが多くなってきた。二号売店前に来る顔見知りに彼女を見なかったか聞くとファミリーパークにいたと言われることが多くなった。それで仕方なく自分もそこへ行くようになった。

さちはそこでなっちゃんから土を掘って草の根を食べたりすることを習いおぼえた。当初はレスリングばかりやっていたが、やがて他の犬と遊ぶうちに追いかけっこもするようになり、なっちゃんはさちとレスリングをする前に相手を追いかけて捕まえないとならなくなった。それが面倒ななっちゃんはやがてパーク内でさちが放れているときには遊ばず、繋がれてパークを出る時絡んできたり、二号売店前で飼い主たちがペンチに座るやいなやレスリングを始めたりした。その頃特によく遊んだ相手にビーグルのエリンちゃんやJRTのくるみちゃんがいる。どちらともやはり主にレスリングをしていた。

一歳四ヶ月頃、くるみと
後ろにいるくうちゃんとはこの頃はまだ遊ばなかった


ローズの飼い主さんが撮ってくれた写真 (ともに二歳近い頃)


当時は一時間放しておけば一時間、二時間放しておけば二時間、相手を変えながら折々水を飲ましてもらいながら遊びっぱなしだった。桜の樹の陰に一時間隠れて様子を見ていたことがあるが、時々飼い主を探して人々の群れに入り顔を見て歩くそぶりもしたが、遊びのお誘いがかかるとすぐ相手になっていた。

十一月になるとパークを出るため呼んで繋ごうとすると逃げ回るようになり、一時公園に来るのをやめて遅まきながら呼び戻しの訓練をきっちりやってみることにした。最初にしっかり教えておくべきだったが、柴犬に呼び戻しは無理と思っていたからやっていなかった。でもやっぱり遅すぎた。

2018/10/20

Pão de Queijo

Pão de queijo (サンパウロ辺ではポンジケイジョと発音) はマンジョカの粉・鶏卵・油脂・ナチュラルチーズなどから作る菓子で、私が南米大陸で最初に口にした食べ物である。

秋、大学の研究室の実験机の上でごろ寝して渡航の日を迎え、ちょっと風邪気味になった。後輩に空港まで送ってもらってノースウェスト航空のカナダ経由の便に乗ったが、カナダの二箇所の空港に近付くたびにスチュワードが座席を回って、熟睡している客からも容赦無く毛布を (起こさないように) 剥いで集めるので、27時間の旅の最後にはすっかり風邪をこじらせてしまった。寮に案内されるとすぐ寝付いた。翌朝、日系人の先生が食べやすかろうと持ってきてくれたのがポンジケイジョだった。

弦巻通りのナチュラルローソンで「ポンデケージョ」として似たようなものを売っているので、よく犬の散歩の途中で買って食べていた。店内で調理・加工する物には原材料表示の義務がないから店内で加工していたのだろう。少なくとも粉の1/4はマンジョカを使っているんじゃないかと思っていた。しかし昨日病院の帰りに超久しぶりに寄って買ったら裏に原材料名表示があり、二十項目に及ぶリストだった。マンジョカのマの字もなく、食品添加物の宝庫である。もう二度と買わない。

2018/10/03

さち その2

9月15日生まれで家に来たのは12月23日だった。借りた小さいプラケンネルを提げてブリーダーの家を去る時、奥さんはケージに残った兄弟に「〇〇ちゃん、もうさっちゃんにいじめられなくて済むよ、良かったね」と言っていた。想像するに執拗にレスリングの相手を強いるさちに辟易していたらしい。

ブリーダー宅には玄関内にケージが一つだけあり、一胎の親子だけしばらくそこで暖かく過ごさせるだけで、残りの犬は成犬も幼犬も全て屋外だった。夜間は毛布を掛けてやっていたかどうかも知らない。

冬の間に戸外でシャンプーして風邪をひかせかけた。まだ犬を室内で飼うという考えはなく、春になったらケージを軒下に出して屋根をつけ、完全屋外飼いに移行するつもりだった。何しろバリケンネルはまだ買ってなく折り畳みケージが無駄に大きいので夜間古絨毯や毛布ですっかり覆っても中はかなり寒いはずだった。ブリーダーのところでは戸外と言っても兄弟と身体を寄せ合うことができたろうし。

そのうち、バリケンネルを買って室内に置いて飼い始めた。しばしばバリケンネルの底を乱暴に引っ掻いて暇をつぶしていたので、百均で音だけのクラッカーを買ってきて引っ掻き始めたらそれを鳴らしてびっくりさせて止めた。また雷を怖がらないようにと冬の間 YouTube で落雷シーンの動画を色々探してきて聴かせた。今でも雷鳴は怖がらないが、それは単に運良く屋外で近くの落雷に会ったことがないからだ。飼い主自身雷が怖いのにどうしてそんな時自身の恐怖心を犬から隠すことができようか。

桜が咲く頃ケージを軒下のブロックの上に据え、防水布の屋根を張って和犬の飼育に使われる標準的な檻の代わりにした。ケージにはちょうど合う簀の子を入れてあった。そして私の外出中や忙しい時、就寝中はケージに入れておくことにしたが、やがて面倒臭くなって夜間も家に居させることにした。蚊を防ぐ網は張らずじまいだったが夏前にニームトリーの乾燥した葉を詰めた不織布の袋を床下に沢山並べた。

家に来てから数日で散歩を始めた。数日後ブリーダーに電話して今日は2km歩いたと報告したら、まだ電柱何本分 (数字を忘れた) しか歩かしてはいけないと言われた。意味がわからず困ったが、結局日本犬の散歩は筋肉をつけるために犬に引っ張らせるのが基本であり、五ヶ月にもならない月齢で引っ張らせたら脚の形が悪くなるということらしかった。しかし洋式の飼育書に惑わされていたこともあり、引っ張らせないようにして散歩は続けた。

ほどなく小便を何回にも分けてマーキングするようになった。散歩中の臭い嗅ぎは犬の社会行動上重要な意味があると考え、かつ脳にごく近い発達した嗅覚器官を活用することは知能の発育に必ず少なからぬ良い影響があると信じ、できるだけこれを妨げなかった。今ではこれは少し後悔している。散歩中臭い嗅ぎに費やす時間が長く、また前脚二本で逆立ちして小便するのでそれの狙いをきめるのにも余計な時間がかかり、一定の運動量を満たすのにも時間がかかるからだ。

最初の二年くらいは散歩は朝晩各2kmでコースは多少変えても方向は家の東北東方面だった。仔犬の頃何度か家から脱走したので、バス通りに至る道は憶えさせたくなかったから。また他の犬と遊ばす機会が多かったから、散歩だけで運動量を稼ぐ必要がなかった。今は朝はあらゆる方向に行くし、最低でも一日に7km、時に10km以上歩く。

さち その3 越境事件

十年半くらい前の平日六時半頃、砧公園サイクリングコースでさちを放していたら、西門付近で見失った。一時間ほど心当たりを探したが見つからないので会社に遅れないよう家に帰ることにした。

念のため一号売店前から家に電話をかけていたところ、なっちゃんの飼い主さんが来た。帰宅すると言って別れたがそのあと探してくれた。さちのことを心にかけて探してくださった方は他にもいたに違いない。柴主仲間の春と健太それぞれの飼い主さん達は、右回りと左回りに手分けして園内をくまなく探し、尋ね歩き、反対側で会った時もう園内にはいないという結論に達したそうだ。帰宅したが会社は休むことにして、PCに向かって公園サービスセンターや関係各役所の電話番号をリストアップして、九時まで待った。サービスセンターは八時半始まりだから、30分早く電話すればよかった。

九時にサービスセンターに電話して訳を話すと、そういう犬は保護していないが大蔵運動公園に電話してみたかという。そんな公園は知らなかったのでどこにあるか聞いたら道路をはさんで西門の向かいだと言い、電話番号をおしえてくれた。電話してみると柴犬はいるという。違う犬だったら困るので名札を見てくれないか頼むと、すぐ戻ってきて「さち」だという。すぐ行って体育館の地下の事務所に行き「柴犬を保護しているそうですが」と言うと、「保護しているわけではありませんが」と言って隣のドライエリアに案内してくれたが、そこでさちは二人の職員となっちゃんママとに遠巻きに囲まれていた。

なっちゃんママは一号売店前で別れてから家に電話をかけてお父さんを呼び出し、なっちゃんを預けた。さちを見つけたらリードがもう一本要るし、犬を連れていては園内を自由に捜索することができないからだろう。それから一人で目撃情報をたどって大蔵運動公園に入り体育館地下で職員に遠巻きに囲まれているさちを見つけた。公園で最も親しい飼い主であるなっちゃんママが呼んでも来ないので、職員に「何か食べ物はありませんか」と尋ね、昼食用に買ってあったサンドイッチを出してもらった。それで釣って捕まえようとしたが二度失敗し、もうそれ以上は決して誘いに乗らなかったそうだ。私に連絡するすべはなく、会社に行くと言って帰ったのだからその日のうちに来ることは当てにできなかった。保健所やシェルターで使っているような道具があればすぐ捕まったろうが。

私が到着して「こら、さち!」と言ってリードを出して近づくと素直に捕まり、職員は「やっぱり飼い主だ」と言っていた。陳謝し、なっちゃんママにパパが二号売店前にいるから早く伝えてくれと言われて向かった。パパはそこでなっちゃんと二時間以上待っていたそうだ。

なっちゃんママがサンドイッチ代を弁償したか職員が受け取らなかったかどうか知らない。春親父には他でも迷惑をかけたことがあったから中元として缶ビール半ダースを進呈した。

越境の動機は西門近くで猫の臭いを嗅ぎつけたからに違いない。当時は大蔵運動公園の餌やりはやりたい放題で、猫用のダンボールハウスというのは見たことがないが、十数箇所に分散してトレー (煎餅やつまみの袋に入っているような) に載せた猫餌や開けた缶入り犬猫用ミルクが置いてあった。やったらやりっ放しで朝になっても喰い残しはそのままで、テーブルの下など見つけやすい場所にもあったが、多くは潅木の植え込みの下などに人目につかないように隠してあった。

その後公園の管理者たちは取り締まりを厳しくしたらしい。今はもうやりっ放しの置き餌は朝にはほとんどない。しかし置き餌でないやり方でやっている人はいるに違いない。

2018/04/20

8年半前にさかいや楽天店で Boreal Tropic という靴を買った (ブランド名は北風というスペイン語でボレアルと読むはずだが、輸入元は今も「ボリエール」と称している)。

自転車のバインディングのないペダルに底の固いアプローチシューズが良いと聞いたからだが、中韓製でなくスペイン製で半分位のサイズが売切れなせいで 51% 引きの4,980円と安く、履いてみると足にフィットしてそれで砧公園に雨後に行っても結構水が入らないので気に入り、すぐ同じものを注文した。

それを片減り箇所を補修しながら愛用していたけど、一昨年ついに一足目が使用に耐えなくなり二足目をおろした。前は自転車と砧公園以外では使わないようにしていたが、大病後は靴が重い方が同じ歩行距離でも運動になると思ってそればかり履いていたせいで、これももう補修が要る。

同様な靴を探してみると Tropic はもう市場になく、類似品は4万余もする。畜生、もう一足買っておけばよかった。
Boreal Tropic

色は違うけどこんな靴

Sekidobashi_Flea_Market
多摩川関戸橋で2010年4月開催された自転車乗りのゲリラマーケットで誰かが撮ってくれた写真