2019/02/19

フェジョン

ブラジルで毎日ご飯と同じ皿で一緒に食べる、日本でいう味噌汁のような煮豆を作ってみた。

Arroz com feijão

大学寮の食堂で週5日×2食ご飯と一緒にこれを食べた。この食堂のおかずはたいてい固い冷凍牛肉であり、時々フライドチキンやソーセージになる。牛肉は不評で、チキンやソーセージだと皆行こう行こうとなる。私は毎日牛肉が食えるなんてと喜んでいたが。しかし煮豆だけは悪く言う人がいなかった。日本でいう汁気のない煮豆と違って汁が多めで、カレーライスのように食べる。豆はフェジョン (feijão、後ろにアクセント) といっていんげん豆の一種。休日に観光地に行って雨が振り、安ペンションの客の一人が「せっかくの休みが台無しだ」というと親父が「神様のお陰で雨が降るからフェジョンが育つじゃないか」と言っていたくらい主要な食品だ。

ただフェジョンといっても黒いの茶色いの白いの白茶のマーブル模様のと色々ある。黒いのは主に名物料理のフェジョアーダで使う。字義通りにはフェジョンの料理という意味だが、こちらは干し肉や豚のアラを入れた元々は奴隷の食事だったとされる料理だ。すごく脂気と塩気が多いので、主に街の食堂やレストランで水曜日に限定して出される。食べると眠くなるから週一なのらしい。初期の日本移民がブラジルに着いた時これが出された。クタクタに煮た豚の皮をこんにゃくと思い「おや、このこんにゃくには毛が生えている」なんてこともあったらしい。毎日たべる方の煮豆はただフェジョンというか米飯とあわせてフェジョン・コン・アホース (com arroz) という。

最初アマゾンジャパンで缶詰を買って食べてみたが、昔食べたのに比べて肉っ気も香味野菜も少なく満足できなかったので、同様にボリビア産のフェジョン (乾物) を1キロ買った。他に必要なのは玉ねぎとにんにくとローレル (ベイリーフ) をはじめとした香辛料。それに仔牛などの骨か、代用として出来合いのインスタントブイヨンとオリーブオイルと塩。また風味を良くするためのソーセージやベーコン。スプーンで食べるものだから肉などはごく小さく切って入れる。香辛料のどれをどれだけ使うかはレシピによりかなり違う。

豆は夾雑物を取り除き水に一晩浸す。鍋に入れて豆の上6-7cmほど水を入れてローレルを一二枚入れ、骨か何かでだしを取るならそれも入れて蓋をし、50分前後煮る。細かく刻んだにんにくと玉ねぎをオリーブオイルで炒める。七八分通り煮えた豆をスプーンに数杯すくって皿などの上でスプーンでよく押しつぶし、鍋に戻す。炒めた玉ねぎなどを加え、切ったソーセージなどを加えて弱火でもう30-40分ばかり煮る。香味野菜として他にコリアンダー (パクチー) の葉もよく使われる。トマトやバルサミコ酢を少し入れる場合もあるようだ。

ご飯も日本のように炊くのではなく、玉ねぎとにんにくをとても細かく刻んだのを鍋のオリーブオイルで炒めてから洗った米を入れ、水を足して茹でる。だいたいできたら水を調整して蓋をして炊く。面倒なんでブラジルにいるときでも土日に会食がなく一人で缶詰などで食べる時は日本式に炊いていた。当時、ブラジル人は米でも豆でもカップで計らず、テーブルの上に多めにあけて手で大体の量を分けて残りは袋に戻していた。小石とかが入っていたころの名残りらしい。

さて、豆の量はカップで計ったが、水の量は豆が何インチかぶるというのを参考に適当だった。にんにくは瓶詰めの刻みを、ローレルはザワークラウトに使うつもりで買って開封していなかった大缶入り粉末を使い、だしはオーサワの野菜ブイヨンの液状のを使った。ソーセージはシャウエッセンを二本。小さめの玉ねぎを一個刻んでしまったので水に漬けた一食分の豆に対して多すぎ、翌日分としてまた豆を浸した。

一回目は水がやや少なく、豆がきもち固く、塩その他の味がかなり濃かった。時間を食うので次から圧力のかかる電気炊飯器を使おう。

2019/02/14

マサラチャイ

ロイヤルミルクティーってイギリスかインドから来た言葉だとずっと思っていたが、そうではなかった。日本の飲料メーカー、正確には紅茶輸入販売会社がでっち上げたものらしい。英語で検索してもほぼ必ず日本のものと紹介されている。

ロイヤルミルクティー

十数年前、世田谷通り沿いの「スパイスマジック」へラーメン屋にでも行くように週二三度食べに行っていた頃、初めてロイヤルミルクティーを注文すると、ネパール人のコックが自販機で売っているのと違うけど大丈夫?と聞いた。アルミみたいな小鍋でミルクと香辛料を入れて作っていた。ウェブ上のロイヤルミルクティーのレシピにインド風に香辛料を使う記述はないのでマサラチャイというのが正しいんだろう。

いまは自分の家でステンレスの小鍋で水と数種の香辛料とアッサム茶と牛乳とで冬の朝の散歩用に作って、350cc入る真空断熱ボトルに入れて持っていく。家でも時々飲むが、いずれにしてもカップ一杯分 (140-160cc) だけ作るのは手間的に合わないのでその倍以上作る。最初出来合いのチャイマサラミックスを使っていたけど、茶濾しが目詰まりしやすいし、ボトルの底の方が粉っぽくなるしで今は別々に買ったホールの香辛料で作っている。時間がない時は無印良品のインスタントのマサラチャイで作る。

ほとんどのレシピで使っている鉄板香辛料はシナモン (カシア)・カルダモン・クローブの三つで、あとだいたいのレシピでは生姜と黒胡椒は使う。下の動画では黒胡椒を使っていないが、コメント欄で何人もの人が黒胡椒を入れないの?とか忘れているよとか指摘している。他に使われるものに、フェンネルシード、ナツメグ、たまにスターアニス。私は悪い癖で、何かのレシピで使っているのを見た物は何でも入れている。それにヒハツモドキ (ヒバーチ) も。

スパイスのうち、カルダモン・クローブ・生姜・黒胡椒は乳鉢である程度潰す。たぶんスターアニスも。石の乳鉢は内壁に三次元曲面部分が多く垂直部分が少ないデザインだと力を入れて叩き潰すことがしにくい。スパイスが飛び出してしまうから。その場合押し付けるようにして潰さないといけない。

淹れ方は、だいたい出来上がりの半量の水にスパイスを入れて沸かし(沸かしてから入れる人もいる)、それからアッサム茶 (CTCという粒状に丸まったもの) を普通の紅茶よりかなり多めに (倍近くかもっと) いれて一分ないし十分弱火で煮出し、それから最初の水と同じくらいの牛乳と好みの量の砂糖を入れて火を強め、沸騰しかかったら止めて濾す。茶葉より先に砂糖を入れる人もいる。

S&Bによるマサラチャイのレシピ

ほぼ同様な作り方のマサラチャイの動画
これを見てアーモンドミルクでも本格的なものが淹れられると思ったが、それで淹れてみると美味しくない。
別の動画

スパイスマジックは当初オーナーのダルジット・シン氏と日本人の奥さんと二人のネパール人コックがいたが、そのうち他所に新店舗でも出したのかオーナー夫婦は全く姿を見せなくなった。ひと頃オーナーの弟が来ていたが、今は弟とも違うインド人が切り回している。もう全然行かない。

2019/02/02

Martín Fierro (1968)

アルゼンチンのホセ・エルナンデス原作の詩、El Gaucho Martín Fierro (ガウチョのマルティン・フィエロ) とその続編、Vuerta de Martín Fierro (マルティン・フィエロの帰還) を原作とした映画。

El Gaucho Martín Fierro

背景


舞台はアルゼンチンのパンパ地方。この広大でまったいらな平原は土地の肥沃さと充分な降雨量から森林の成長に適していたが、雨季の直前に乾ききった草原に火を放って狩りをする先住民の風習のため森林は消滅していた。そしてヨーロッパ人が牛などの家畜を持ち込んだ結果、家畜が木の芽をかじるため、有毒な樹液など自衛手段を持つものを除き、柵による保護なしに樹木が生育することはさらに不可能だった。そして有刺鉄線の普及までは柵の設置と維持はとても高くついた。ヨーロッパや北米東部では牧柵代わりによく使われた石垣を築くための石もなかった (屠畜場周辺の農場では牛馬のされこうべで垣根を築いていた)。

牛や馬の価格はとても安く、どんなに貧乏なガウチョでも一頭や二頭の馬を持っていた (馬の要らない仕事はなかった) し、牛の群れを輸送する仕事についているガウチョたちが、毎食ごとに一頭の牛を殺さなければ気がすまなかったくらいだ。屠畜場では皮のほか肉と脂肪のごく一部だけを取って残りは廃棄されていた。

ガウチョはアンダルシアほかイベリア半島南部からの古い入植者が先住民や若干の黒人と混血した牧畜民で乗馬が巧みであり、19世紀初期のスペインからの独立戦争では主役であったが、19世紀の終わりには旧時代の遺物のように扱われ辺境へ辺境へと追いやられ、新移民の大波の中で消滅した。原作はこの迫害の中で彼らの名誉を守ろうとしてホセ・エルナンデスにより書かれた。

ほとんどが汽船に乗ってヨーロッパから来た新移民の子孫からなる現アルゼンチン国民は20世紀になってから俄かに彼らを自分たちのアイデンティティとして主張しだした。日本の無知なマスコミは「ガウチョ」を牧童と同じことだと思ってしょっちゅう誤用しているがそれは違う。雇われた牧人や作男を表すにはペオンという言葉があるし、牛飼い (カウボーイ) にはバケーロという言葉がある。またガウチョには富裕な地主たちもいた。

あらすじ


映画は軍隊を脱走したフィエロが荒れ果てて無人の我が家に帰って来たところから始まる。妻子と小さい農園で暮らしていたフィエロはある日酒場にいるところを軍隊の強制徴募にあう。期間は半年という約束だったが、実際には五年や十年の拘束はざらだった。1840年の中央集権主義者と連邦主義者との内戦時に発せられた総動員令で応召したガウチョの中には15年も勤めさせられた者もいた。

昔のアルゼンチンの軍隊生活が描かれる。軍隊の主力は強制徴募されたガウチョで、馬も満足に乗りこなせないイタリアのスラムからの新移民が正規兵として優遇され、ガウチョは危険な戦闘と苦役に長期間従事させられた。彼らに給付される制服は帽子と上衣だけ。腰にはチリパと呼ばれる一枚の布、脚にはボタス・デ・ポトロ (若駒のブーツ) という若駒の脚の皮を使った足先が露出する履物を履き、馬は自弁だった。銃器やサーベルは行き渡らない。固い長い木材が高価だから竹柄の槍、ファコンというガウチョの闘争用の短刀、元々先住民の駝鳥狩り用である三個の金属球か生皮でくるんだ石を皮紐で繋いだボレアドラスという武器を、敵を落馬させるにも打撃にも腕や武器に絡めるのにも使う。つまり先住民の戦士と大して変わらない装備である。捕虜は情報だけ得たら古兵が慰みに苛め殺す。

ガウチョの服装と装備 (ボレアドラスを腰に巻いている)

士官たちは銃弾を横流ししたり給与をごまかしたりして私腹を肥やし、僅かな給与も酒保の親父に天引きされてしまう。給与のことで士官連と揉め、夜酔って帰営した時にイタリア人兵と揉めて厳しい懲罰を食い、嫌気がさして三年目にして脱走して帰宅したが、農場も家畜も売られ妻子は食えなくなって何処かへ流れていったあとだった。自暴自棄になったフィエロは酒場で黒人のカップルをしつこくからかった末、決闘で男を殺してしまう。ヨーロッパでも剣を使った決闘はたいていそうだが、ガウチョにとって決闘は名誉を守る為であって殺すのが目的ではなく、普通は顔を狙う。

そこからフィエロの少年時代の回想になる。多少の資産のあった父が死んで孤児になったフィエロに村長らは、財産は大人になるまで管理してやると言って、手癖の悪いホームレス (映画では壁のある小屋に住んでいるが原作では破れ馬車を家にしていた) の老人に被後見者として押し付ける。原作では色々と独特な処世訓を老人から教え込まれる。

フィエロは、よそでも別の男、顔役の息子を殺してお尋ね者になる。そこから映画は警官クルス軍曹の物語になり、最後は草原で野営中のフィエロを警官隊が囲むが、フィエロの奮闘に感じた警官クルス軍曹が助太刀して警官隊の生き残りは逃走し、二人は夜通し語り合った末、先住民の群れに身を投じようと出発するところで原作本編は終わるが、映画では先住民と暮らす二人やフィエロの息子たち、クルスの息子やフィエロの青年時代と忙しく行き来する。

先住民にも簡単には信用されず厳しい暮らしが続き、結局軍曹は病死し、拐われたガウチョの女性が殺されようとするのを助けて部落を脱出する。ある寄り合いで二人の息子とクルスの息子に偶然出会ったが、一緒に入った居酒屋で最初に殺した黒人の息子に出会う。コントラプントと呼ばれる、二人の男が交互にギターをかき鳴らしながら自分の経験や人生観を題材として即興で詞を掛け合う歌合戦がフィエロと黒人の間で始まる。やがて黒人の父を殺したのがフィエロだと知れるが周囲が止めに入って事なきをえる。四人は集落を立ち去るが、お尋ね者同士一緒にいるわけにいかないと四方向に分かれる。

アニメ版


Martín Fierro

アニメの方は原作によらず映画をさらに部分的にアニメ化したみたいだ。しかし駐屯していた砦と部下とを失ってガウチョの新規徴兵を求める大佐の話は原作にも映画にもない。

日本語訳


玉井禮一郎という方がこの詩を翻訳し出版された。どこかの書店で購入したが、訳者筆頭が大林文彦氏、ついで玉井氏なのでその名で憶えていた。1980年代始めに東北沢駅の近くにあったイスラミックセンター・ジャパンの金曜会で、それからもう一度別のイベントでお目にかかった。その際その本を読んだ事、玉井氏の名前はたしか二番目だったことを言うと、監修してくれたスペイン語文学研究者の大林氏を立てたのだそうだ。

マルティン・フィエロ―パンパスの吟遊ガウチョ

ガウチョに関して読んでみたいと思われる方には、チャールズ・ダーウィンの「ビーグル号航海記」や、ウィリアム・ヘンリー・ハドソンの「遥かな国遠い昔」をおすすめする。