2018/10/20

Pão de Queijo

Pão de queijo (サンパウロ辺ではポンジケイジョと発音) はマンジョカの粉・鶏卵・油脂・ナチュラルチーズなどから作る菓子で、私が南米大陸で最初に口にした食べ物である。

秋、大学の研究室の実験机の上でごろ寝して渡航の日を迎え、ちょっと風邪気味になった。後輩に空港まで送ってもらってノースウェスト航空のカナダ経由の便に乗ったが、カナダの二箇所の空港に近付くたびにスチュワードが座席を回って、熟睡している客からも容赦無く毛布を (起こさないように) 剥いで集めるので、27時間の旅の最後にはすっかり風邪をこじらせてしまった。寮に案内されるとすぐ寝付いた。翌朝、日系人の先生が食べやすかろうと持ってきてくれたのがポンジケイジョだった。

弦巻通りのナチュラルローソンで「ポンデケージョ」として似たようなものを売っているので、よく犬の散歩の途中で買って食べていた。店内で調理・加工する物には原材料表示の義務がないから店内で加工していたのだろう。少なくとも粉の1/4はマンジョカを使っているんじゃないかと思っていた。しかし昨日病院の帰りに超久しぶりに寄って買ったら裏に原材料名表示があり、二十項目に及ぶリストだった。マンジョカのマの字もなく、食品添加物の宝庫である。もう二度と買わない。

2018/10/03

さち その2

9月15日生まれで家に来たのは12月23日だった。借りた小さいプラケンネルを提げてブリーダーの家を去る時、奥さんはケージに残った兄弟に「〇〇ちゃん、もうさっちゃんにいじめられなくて済むよ、良かったね」と言っていた。想像するに執拗にレスリングの相手を強いるさちに辟易していたらしい。

ブリーダー宅には玄関内にケージが一つだけあり、一胎の親子だけしばらくそこで暖かく過ごさせるだけで、残りの犬は成犬も幼犬も全て屋外だった。夜間は毛布を掛けてやっていたかどうかも知らない。

冬の間に戸外でシャンプーして風邪をひかせかけた。まだ犬を室内で飼うという考えはなく、春になったらケージを軒下に出して屋根をつけ、完全屋外飼いに移行するつもりだった。何しろバリケンネルはまだ買ってなく折り畳みケージが無駄に大きいので夜間古絨毯や毛布ですっかり覆っても中はかなり寒いはずだった。ブリーダーのところでは戸外と言っても兄弟と身体を寄せ合うことができたろうし。

そのうち、バリケンネルを買って室内に置いて飼い始めた。しばしばバリケンネルの底を乱暴に引っ掻いて暇をつぶしていたので、百均で音だけのクラッカーを買ってきて引っ掻き始めたらそれを鳴らしてびっくりさせて止めた。また雷を怖がらないようにと冬の間 YouTube で落雷シーンの動画を色々探してきて聴かせた。今でも雷鳴は怖がらないが、それは単に運良く屋外で近くの落雷に会ったことがないからだ。飼い主自身雷が怖いのにどうしてそんな時自身の恐怖心を犬から隠すことができようか。

桜が咲く頃ケージを軒下のブロックの上に据え、防水布の屋根を張って和犬の飼育に使われる標準的な檻の代わりにした。ケージにはちょうど合う簀の子を入れてあった。そして私の外出中や忙しい時、就寝中はケージに入れておくことにしたが、やがて面倒臭くなって夜間も家に居させることにした。蚊を防ぐ網は張らずじまいだったが夏前にニームトリーの乾燥した葉を詰めた不織布の袋を床下に沢山並べた。

家に来てから数日で散歩を始めた。数日後ブリーダーに電話して今日は2km歩いたと報告したら、まだ電柱何本分 (数字を忘れた) しか歩かしてはいけないと言われた。意味がわからず困ったが、結局日本犬の散歩は筋肉をつけるために犬に引っ張らせるのが基本であり、五ヶ月にもならない月齢で引っ張らせたら脚の形が悪くなるということらしかった。しかし洋式の飼育書に惑わされていたこともあり、引っ張らせないようにして散歩は続けた。

ほどなく小便を何回にも分けてマーキングするようになった。散歩中の臭い嗅ぎは犬の社会行動上重要な意味があると考え、かつ脳にごく近い発達した嗅覚器官を活用することは知能の発育に必ず少なからぬ良い影響があると信じ、できるだけこれを妨げなかった。今ではこれは少し後悔している。散歩中臭い嗅ぎに費やす時間が長く、また前脚二本で逆立ちして小便するのでそれの狙いをきめるのにも余計な時間がかかり、一定の運動量を満たすのにも時間がかかるからだ。

最初の二年くらいは散歩は朝晩各2kmでコースは多少変えても方向は家の東北東方面だった。仔犬の頃何度か家から脱走したので、バス通りに至る道は憶えさせたくなかったから。また他の犬と遊ばす機会が多かったから、散歩だけで運動量を稼ぐ必要がなかった。今は朝はあらゆる方向に行くし、最低でも一日に7km、時に10km以上歩く。

さち その3 越境事件

十年半くらい前の平日六時半頃、砧公園サイクリングコースでさちを放していたら、西門付近で見失った。一時間ほど心当たりを探したが見つからないので会社に遅れないよう家に帰ることにした。

念のため一号売店前から家に電話をかけていたところ、なっちゃんの飼い主さんが来た。帰宅すると言って別れたがそのあと探してくれた。さちのことを心にかけて探してくださった方は他にもいたに違いない。柴主仲間の春と健太それぞれの飼い主さん達は、右回りと左回りに手分けして園内をくまなく探し、尋ね歩き、反対側で会った時もう園内にはいないという結論に達したそうだ。帰宅したが会社は休むことにして、PCに向かって公園サービスセンターや関係各役所の電話番号をリストアップして、九時まで待った。サービスセンターは八時半始まりだから、30分早く電話すればよかった。

九時にサービスセンターに電話して訳を話すと、そういう犬は保護していないが大蔵運動公園に電話してみたかという。そんな公園は知らなかったのでどこにあるか聞いたら道路をはさんで西門の向かいだと言い、電話番号をおしえてくれた。電話してみると柴犬はいるという。違う犬だったら困るので名札を見てくれないか頼むと、すぐ戻ってきて「さち」だという。すぐ行って体育館の地下の事務所に行き「柴犬を保護しているそうですが」と言うと、「保護しているわけではありませんが」と言って隣のドライエリアに案内してくれたが、そこでさちは二人の職員となっちゃんママとに遠巻きに囲まれていた。

なっちゃんママは一号売店前で別れてから家に電話をかけてお父さんを呼び出し、なっちゃんを預けた。さちを見つけたらリードがもう一本要るし、犬を連れていては園内を自由に捜索することができないからだろう。それから一人で目撃情報をたどって大蔵運動公園に入り体育館地下で職員に遠巻きに囲まれているさちを見つけた。公園で最も親しい飼い主であるなっちゃんママが呼んでも来ないので、職員に「何か食べ物はありませんか」と尋ね、昼食用に買ってあったサンドイッチを出してもらった。それで釣って捕まえようとしたが二度失敗し、もうそれ以上は決して誘いに乗らなかったそうだ。私に連絡するすべはなく、会社に行くと言って帰ったのだからその日のうちに来ることは当てにできなかった。保健所やシェルターで使っているような道具があればすぐ捕まったろうが。

私が到着して「こら、さち!」と言ってリードを出して近づくと素直に捕まり、職員は「やっぱり飼い主だ」と言っていた。陳謝し、なっちゃんママにパパが二号売店前にいるから早く伝えてくれと言われて向かった。パパはそこでなっちゃんと二時間以上待っていたそうだ。

なっちゃんママがサンドイッチ代を弁償したか職員が受け取らなかったかどうか知らない。春親父には他でも迷惑をかけたことがあったから中元として缶ビール半ダースを進呈した。

越境の動機は西門近くで猫の臭いを嗅ぎつけたからに違いない。当時は大蔵運動公園の餌やりはやりたい放題で、猫用のダンボールハウスというのは見たことがないが、十数箇所に分散してトレー (煎餅やつまみの袋に入っているような) に載せた猫餌や開けた缶入り犬猫用ミルクが置いてあった。やったらやりっ放しで朝になっても喰い残しはそのままで、テーブルの下など見つけやすい場所にもあったが、多くは潅木の植え込みの下などに人目につかないように隠してあった。

その後公園の管理者たちは取り締まりを厳しくしたらしい。今はもうやりっ放しの置き餌は朝にはほとんどない。しかし置き餌でないやり方でやっている人はいるに違いない。