2019/07/31

ビートクワス

クワスに関して英語で検索していると "beet kvass" なるものがやたらとヒットする。最初ビートを加えたクワスかと思っていたが、どのレシピも基本はビートと塩と水で作るものだ。 黒パン (またはライ麦の麦芽) と水から酵母菌の発酵で作るクワスと違い、穀物は使わないし塩を使い乳酸発酵で作るところは漬物のようだ。一度それで作ってみたが、色といい塩辛みといい酸味といい、薄目の梅酢を飲むようだった。これのどこがクワスなのか頭をひねるがわからなかった。たぶんクワス同様に東欧由来の飲み物なんで、非スラヴ系の英語国民に聞いてみるだけ無駄らしい。オリジナルのビートクワスのレシピは "russian beet kvass" で検索すると沢山見つかる。

このサイトによると英語圏でのレシピは必ず塩を使っているが、ロシアでは砂糖を使うんだそうだ。しかもライ麦パンも使うと。ポーランドでもそうらしい。その辺がクワスと縁もゆかりもない代物が英語で beet kvass と呼ばれるゆえんらしい。おまけに塩を使ったものは不味いとまで書いてある。だいたいビートは酸味があるだけでなく風味が土臭く、料理に工夫がいるようだ。

What do beets taste like
Beets taste
ロシアでの砂糖を使うレシピ
「ポーランド生まれの祖母の作り方」
ビートクバス:有用な性質と禁忌

YouTube 動画
Russian beet kvass
Brad Makes Beet Kvass | It's Alive | Bon Appétit
↑↑↑塩や香辛料を入れて漬けている。Brad は手が染まらないようにゴム手袋をしているが、水で洗えばほぼきれいに落ちる。

たまたまコンビニの野菜売り場でビートを売っていたので買ってきて作ってみた。スーパーでも一個だけみつけた。アマゾンジャパンでもキロ単位で売っているが、「ビーツ」で検索しないと出てこない。コンビニやスーパーで見つけるのは難しいし、あっても二個かそこらしか置いてないが、値段は巨大な一個が二百円かそこらだ (最近スーパーで買ったら500円近くした)。最初製糖用の甜菜とどう違うのかわからなかったが、このビートは和名を火炎菜、俗にテーブルビートともいい、甜菜はその亜種だそうだ。皮しか赤くない赤カブ (二十日大根) はバラ類で、ナデシコ目ヒユ科フダンソウ属の前二者とは全く違う。

クワス用の10リットル発酵タンクは買えたビートに対して大きすぎるし、3リットルの分析化学溶媒の入っていた耐圧瓶は口が狭いので1cm角以上のビートは入れるのに苦労する。出すのはもっと大変だろう。仕方ないから OXO の乾物用コンテナを使った。これは各サイズを穀粉や調味料のほか犬のドライフードにも使っている。半端な気密なので1リットルとか液体を入れて大きく傾けると漏れる。

巨大なビートを三個、1ないし2cm角に刻み、1リットルの水と大さじ一杯の岩塩を加えた。あとスターターが要る。ザワークラウトは今ないし、クワスは酵母菌だし、ライ麦全粒粉とドライイーストで作ったPETボトル入りのパンケーキ用スターターは一ヶ月も冷蔵庫内に放置されて乳酸発酵に切り替わっていそうなので、それの上澄みと、念のため生菌をうたう乳酸菌飲料カゴメの「ラブレ」を少し注いだ。ザワークラウト同様一週間くらい発酵させるので、一日かそこらで冷蔵して飲むクワスと違い、器具の殺菌に気を配らなくてはいけない。まして塩抜きでは。

OXO コンテナのレクタングル ミディアムではほとんど一杯になり、ザワークラウトでもあることだが発酵の初期には炭酸ガスの泡が出るので蓋を飛ばしそうで、四角い針金で抑える蓋のついたガラス容器に一部を移したら、そっちの液面に白いカビのようなものが出た。ザワークラウトの時のような消毒を怠っていたのでしまったなあと思ったが数日したら消えた。ガラス容器の方を冷蔵庫で冷やして氷を入れたコップで飲んでみたら、しょっぱ酸っぱくて美味しいとは言えなかった。ビートを小さめに刻んだのと海塩を使えとあるところ岩塩を使った以外レシピに忠実に作ったのに。もっとも粒状の岩塩は同じ体積でもさらっとした海塩より重かったかも。ザワークラウトの漬け汁 (クラウトジュース) は無駄にせず料理に入れたり剥いた大蒜片を漬けたりするが、一度も飲んだことがない。

次は塩は入れず砂糖だけで漬けてみた。クワスをスターターに使い、あるレシピに従い干し葡萄も少し足して酵母菌で発酵させ一週間おいた。やはり酸味が強く妙な味でストレートで飲める代物じゃない。ミネラルに富んでいて体にいいと思うので、炭酸水で割って蜂蜜を加えて飲んでいる。大きく切ったビートは再利用して二度か三度漬けられる。残ったものは煮物にぶち込んだが、まだ酸っぱい味がする。次からは二回使ったらビートは捨てた。

ワープロ

字が下手糞で書き方も遅く、町田の文具屋のショーウィンドウで中古の和文タイプを見て欲しいなと思ったほどだから、大学の研究室にあったパソコン (当初のは NEC の PC-8801) のワープロソフトにはすぐ飛びついた。まもなく自己流のかな打ちで随意に文書を作成できるようになったし、大学でレポートをレポート用紙にプリントして提出したのは私が初めてだったらしい。

研究室は教授の教授会での発言力で成績悪くても卒業させてもらいやすいという噂と、実際に動物に触れる機会の多いことで、定評ある人遣いの荒さに関わらず学生の頭数にはさほど困らなかった。他の研究室なら外注するような仕事、たとえば英文和文の印刷、学会発表など用の青スライド、各種分析やその他雑用。他の研究室では教授と学生が一緒に戸締まりして帰ったりするけど、我が研究室の辞書に戸締まりという言葉はなかった。連続14日泊まったこともある。

雑用に近い仕事に関しては、学生にはスライド用写真撮影や現像の上手、和文タイプの上手、英文タイプの上手、日本語ワープロの上手などがいて、日本語ワープロに関しては様々なフォームに出来るだけ合わせてドットインパクトプリンターで印刷することで私がピカイチだった。留学から帰った時は速打ちに関してその座は若手に奪われていたし、レーザープリンターも登場していたけれど。

ある時、研究室の予算申請のフォームを印刷するよう言われた。入力してコピー用紙で位置決めし、いよいよ用紙に印刷しようとしたら紙が厚くてローラーに入らなかった。どうにかローラーの位置をドライバーで調整することが可能であったかどうか?できなかったと思う。自分にできることはすべてやったので最後にゲラゲラ笑ってしまい、よくこんな深刻な状況で笑えるなと言われた。アパートで国家試験の勉強中の上級生が急遽呼び出されて和文タイプで打っていた。

かなキーで日本文を打つ人 (かな入力派) は昔はさして珍しくなかったと思う。アルファベットで済ましている人たち (ローマ字入力派) は決してかなキーの位置は憶えないが、かなキー利用者はかなも英数字も記号もすべて憶えてしまう。ただ自己流ではブラインドタッチはできないから速さではローマ字入力派にかなわない。キーボードのFとJ、テンキーの5に付いているホームポジション認識用のぼっちの意味がわからず、ヤスリで削り落とそうと思ったくらい。

でも同じ文章を打つのにローマ字では倍近い手数が要って、タイプする音の割に入力の進みは遅い。手があまり速く動かない自分はこれでいいと思っていた。実際かな入力派でブラインドタッチに習熟するとローマ字入力派にはかなわない速度に達するらしい。自分もかな打ちブラインドタッチの本も買ってはみたんだけれど。

やがてニフティサーブを個人で使うようになると、変換しそこないなどちょっとしたことでかな入力派であることが知れて珍しがられたりした。今ではユーザー全体の一割にも満たないらしい。

2019/07/07

マルブルーは戦争に行った

ウィンストン・チャーチルやダイアナ・スペンサーの先祖であるイングランド貴族ジョン・チャーチルは、18世紀初めのスペイン継承戦争に出征して勲功を立て軍司令官に任ぜられ、初代マールバラ (Marlborough) 公爵に叙せられた。しかし戦争の終わり頃、マルプラケの森に防備工事を施して立てこもったフランス軍を攻撃して敵を退却させることに成功したものの、サヴォイのプリンツ・オイゲンと共に指揮していた英・蘭・プロイセンほかオーストリア帝国隷下諸邦の連合軍は敵に倍する大出血を被った。

この時フランス軍には彼が死んだという誤報が伝わり、喜んだフランス兵は「マルブルー (Malbrough, Malbrouck 等様々な綴りあり) は死んだ」という歌を歌った。きっと既存の歌の替え歌だが、これはいろんな形で出版されたりもし、今に至るまで俗謡あるいは童謡として歌われている。

内容は「マルブルーは戦争に行った。三位一体節までには帰るだろうか、復活祭までには帰るだろうか。しかし復活祭が過ぎても彼は帰らない。奥方は城の高い塔に登って帰りを待った。すると彼と共に出征した小姓が帰ってきた。奥方は呼び掛けて彼の消息を尋ねた。小姓は答えてマルブルーの旦那様は戦場で死んで葬られました云々」というもの。

Malbrough s'en va-t-en guerre

マールバラ公は新しい兵站方式を採用して軍の移動を速くするなど軍事に天才を発揮したが、金に汚かったといわれる。それを政敵にあれこれ告げ口されて軍司令官は解任された。フランス俗謡のマルブルーも戦争で一稼ぎする目的で出征する兵士のように描かれている (らしい) 。

この歌は米国では再度歌詞を変えられて "For he's a jolly good fellow"という、親しい人を歓迎したり誕生日を祝ったりする際の歌になっている。

For he's a jolly good fellow

野猫の餌やり

近くの大きいマンション群に付属する遊歩道には夜八時前後に猫が集まる。東急バス弦巻営業所の裏に犬仲間が集まっていた頃は、十年間毎晩のように犬を連れて通っていたが、大抵二三匹は目に入った。明らかに餌やりが行われているが、一昨年までのところやり方は巧妙で、現場を見たことも放置された餌や容器を見たこともなかった。暗い中でベンチにじっと腰掛けている人が怪しいかな、と思ったくらい。

その後猫の数が増えてきた。一昨年のある晩には八匹まで数えたこともある。住民も苦情を役所に訴えたのだろう、禁札が数ヶ所に掲示された。とうとう去年くらいから自転車の前後の籠に餌を積んで餌やりをしているおばさんに出会った。こういう人は数箇所の公園をハシゴして餌を置いているようだ。また植え込みの後ろにドライフードや水を入れた容器を朝見つけるようになった。どうもどこそこで餌やりができるという話が伝わると、猫だけでなく餌やりをしたい人が集まるようだ。川柳の「通り抜け無用で通り抜けが知れ」じゃないが、彼らに対して禁札なんかそういう効果しかない。

2019/07/06

コンキスタドーレスと犬たち

ラス・カサス神父の「インディアスの破壊に関する簡潔な報告」というスペイン国王に対する訴えにはスペイン人征服者達が大型の猛犬を使って先住民を征服・奴隷化するだけでなく、犬を養うのに先住民の死体をもってしたということが書かれている。

Alano Español
スパニッシュ・ブルドッグまたはアラノ・エスパニョール

パナマ地峡を横断して太平洋を「発見」したバスコ・ヌニェス・デ・バルボアは、最初のパナマ地方への探検航海に参加したあとイスパニオラ島で入植したが、農場経営に失敗して債権者から逃げるために飼い犬のレオンシーコ (Leoncico、小さいライオンという意味) と共に大樽に潜んで、マルティン・フェルナンデス・デ・エンシーソを隊長とする探検隊の船に乗り込んだ。隊員に協力者がいたんだろう。しかし隊長は彼らを見つけ、次に通りかかった無人島に置き去りにすると脅した。しかし彼の地峡周辺の地理に関する知識と経験を知って同行させることにした。

contraband

レオンシーコはスパニッシュブルドッグであったと言われ、父犬のベセルリーリョは既に探検に参加して数多の手柄を立て有名だった。獰猛で捜索能力に優れ、平和的な目的で来た先住民と害意を隠した先住民とを正しく見分けたといわれ、先住民は犬無しの百人のスペイン人よりもベセルリーリョを連れた十人を恐れたといわれた。レオンシーコも強く賢い犬で、彼を伴った十人のスペイン人は彼なしの二十人の者たちより手柄を立てたと言われる。のちに嫉妬から毒餌を食わせられて死んだ。持ち主のバルボアもエンシーソにとって代わって彼を本国に放逐したりしたせいで恨みを買い、邪魔されなければインカ帝国の征服者となれたかもしれない探検に出る前に反逆罪の名目で逮捕され処刑された。